『炉』について

茶室に炉を切ったのは、利休が最初だと言われています。田舎家の囲炉裏を見て、わび草庵に相応しいと応用したと言うことになっています。「翁草」には「珠光・紹鷗まではみな台子風炉の茶湯にして、炉といふことなし、利休始て炉と云事仕出せり、」と書かれている。

しかし実は利休以前からも炉はあったようで、「茶窓閑話」に「むかしは茶会の席とて、別に定めはなく、其席々々に見合せて炉を切て点じ、珠光の座敷などは六畳敷なりしとぞ、但し炉の切所は何畳にても三所あり、其伝に、あげて切とさげて切と道具畳のむかふの地敷居へおしつけて切との三つなり。しかるに、武野紹鷗が四畳半の座敷を作りはじめて、炉を下中に切しより已来、四畳半構といふ事ありて、其後千利休三畳台目構の座敷を造り、初て炉を中に上て切しより、大目構の炉といひならはし云々、」とある。また「喫茶指掌編」には「紹鷗時代までは、炉の広さ一尺五寸七分四方と也、紹鷗利休と談合して、一尺四寸四方と定しなり、」とみえている。

現在使用している炉の寸法も一尺四寸四方、つまり42.4センチ四方で、炉の内法29センチ(九寸六分)、深さ42~45センチ(一尺四~五寸)程度で、木の枠の内側を壁土で塗り上げており、これを炉壇と言います。

炉壇を床に入れるには、まず床の二方だけを畳に合わせて切り、前先は15センチ~18センチほど広く切ってはめ板にしておく。これは炉壇の出し入れに便利な為と、歪みを正す為とである。

炉には塗炉の他に鋳物・銅・石・陶器・ステンなどで造ったものがあり、また丸炉(がんろ)と言って、丸いものもある。「翁草」によると、丸い鉄のどうこを板に切り入れた炉が珠光紹鷗時代よりあったそうである。丸炉は水屋用のもので、正式には使用しない方がよいとされています。

裏千家流には、玄々斎の好みになる大炉というものがあります。