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宗完宗匠自画 岩崎新定造 膳所焼 「椿ノ画」茶碗
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作者:膳所焼窯元 岩崎新定
膳所焼について
膳所焼は徳川初期の元和年間に陶器を作りはじめておりましたが、寛永13年に時の膳所藩主、石川忠総が当時の茶博士、小堀遠州の指導を得て遠州好みの茶器を焼き始めました。
初期の作品は大名間の贈答用として造られたもので精選した原料を用い、熟練した工人の手になるもので、茶入れ、水指が多く見られ、中興名物にも大江、白雲なる銘の茶入れが取り上げられております。
中期には藩主の庇護の下に細々と仕事が続けられておりました。天命年間になりますと土地の人小田原屋なる人が交趾風の梅林焼と称する陶器を始めましたがまもなく中絶し、続いて雀ヶ谷焼きなる名の下に明治11年まで続けられましたが、経営困難のため廃窯の止むなきに至りました。
大正8年、膳所の人岩崎健三、名窯の廃絶を惜しみ山元春挙画伯とはかり、その再興に生涯をかけ途中非常な努力を以って維持経営に努め、茶器製作においては遠州七窯のひとつとして恥ずかしからぬものとなり続いて健三の長男、新定その業を継ぎ、今日では陶磁器業界はもとより茶道界においても膳所窯は著名な存在となっております。
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